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「おかえり」「ただいま」
日本語特有の表現を訳すのは、なかなか大変です。
「訳せないもの」という本に
「訳せないものはないと思っている」という筆者の言葉があったように思いますが
(そこしか見てないのですが・・・)
どうなんでしょうか。
例えば、日本人にとってはごく普通の言葉、
「ただいま」と「おかえり」。
これについて考えたのは、
浦沢直樹の「Monster」を読んでいて。
(*ネタバレありますので、知りたくない方はパスしてくださいね)
ミュンヘン/レジデンツのアンティクヴァリウム
(本文とは関係なし)
この作品、謎が謎を呼ぶサイコ・スリラーです。
メイン・キャラクターとして、双子が登場するのですが、
子供の頃の記憶が欠けているのです。
双子の一人、ニナが記憶の断片を頼りに
事実を知ろうとするのですが、
ここで登場する重要なキーワードが「おかえり」「ただいま」という言葉。
ニナの脳裏に浮ぶ、「おかえり」と言っている子供の頃の自分の姿。
ページが変わってすぐ次のコマでは、
現在のニナが、それを思い出しながら、少し呆然としたような表情で
「ただいま」とつぶやく・・・。
さて・・・・
ここはどう訳すんだろう・・・
普通に家に帰ってきた時のシチュエーションで考えると、
「ただいま」は
"Je suis là ! " とか"C'est moi ! "かな?
「おかえり」は・・・
思い浮かばない(汗)
気になったので先生に聞いてみると、
「ただいま」はだいたい同じような答え、
「おかえり」のほうは、いろいろおっしゃってましたが
先生自身どれもイマイチと感じたようで・・・。
先生いわく、「ただいま」の2例も、
あくまで帰ってきた自分に家人が気づかないような場合に、
帰宅を知らせるために言うもの。
だから、例えば家にいるお母さんを目の前にして
" Je suis là ! " (直訳 : 私はここにいるよ)
" C'est moi ! " (直訳 : 私だよ!)
って言うのはおかしい。
「見たらわかるやん!」と、大阪の人間なら突っ込みそうなシチュエーション。
ふと、この「Monster」全18巻には各巻サブタイトルがついているのを思い出し
調べてみると・・・
「おかえり」「ただいま」がありました!
16巻: 「おかえり」 英語: Welcome Back 仏語: Je t'attendais
17巻: 「ただいま」 英語: I'm Home 仏語: C'est moi.
仏語をそれぞれ直訳すると、
「おかえり」=「あなたを待っていたよ」
「ただいま」=「私だよ (それは私です)」
となります。
”Je t'attendais”ね・・・
うまく
日本語の「ただいま」「おかえり」は、
「やあ!」みたいなごく軽いニュアンスで使いますよね。
お兄ちゃんが「ただいま」と帰ってきて、弟がテレビ見ながら「おかえり」と言っても、
「Je t'attendais」のような、「待ってたんだよ」的ニュアンスはゼロです。
仏語訳のほうは、寂しかったよ、とか、何か用事があって待っていた、とか
それを強調するような言葉だと感じます。
(この作品中では間違いなく「待っていた」のでOK)
話を戻して・・・。
上記で紹介したニナのシチュエーションで、
「ただいま」のほう、「C'est moi」でいいんでしょうか。
この作品では、「おかえり」「ただいま」を双子のどちらが言ったのか?
という謎が出てきます。
つまり・・・
双子のどちらが家にいて、どちらが帰ってきた(=外に出ていた)のか、
が重要な問題になってくるんです。
日本語の「ただいま」「おかえり」は、軽い挨拶であると同時に、
「ただいま」=外から帰ってきた人が言う
「おかえり」=家にいた人が言う
・・・という状況を内包しています。
それが大前提。
だから、この言葉を聞いただけで、
今帰ってきた人なのか、それまで家にいた人なのかが
即座にわかります。
ところが、「C'est moi (私だよ!)」そのものには
本来そういう「帰宅」に関するニュアンスはありません。
シンプルに「それは私です」という意味なんです。
なので、16巻のサブタイトル「C'est moi 私だよ」を店頭で読んだだけで
帰宅をイメージできるフランス人は皆無だと思います。
そして、
「ただいま」「おかえり」の言葉はワンセット、つまり呼応する言葉なんですね。
呼応しているからこそ、この作品の中では
より謎めいて、より強い響きをもって読者にせまってきます。
「C'est moi」「Je t'attendais」には、そんな響きは成立しえないでしょう。
それに、
「おかえり」と言う人がいれば、そこに帰ってきたばかりの他の誰かがいるということ。
「おかえり」の後に「ただいま」が来ても問題ありませんが、
フランス語のように
「Je t'attendais 待っていたよ」の後に「C'est moi 私だよ」では、
意味不明になっちゃいますよね。
(「帰ってきたのわかってるから『待ってたで』ってゆうたんや!」
・・・というツッコミを、はいどうぞ!)
さらに言うと、
「Je t'attendais(待っていたよ)」という自分を回想しながら
「C'est moi(それは私です)」と今の自分が言ってしまうと、
読みようによっては
「C'est moi qui ai dit "je t'attendais"」=「『待っていたよ』と言ったのは私」
という流れにならないのかな?という心配も。
ところが実際は間逆で(このシーンだけではわかりませんが)、
「おかえり」に呼応して "自分が" 「ただいま」と言った・・・
という過去の現実の予兆なんです。
「おかえり」に呼応する言葉だから、「ただいま」という言葉が口に出た。
そして、過去に同じように、"自分が"「ただいま」と言ったということに気づく・・・。
これ、呼応する言葉同士でなければ、本当のところ成立しないんですよ。
フランス語訳では
この細かいニュアンス、でもストーリー上すごく重要ポイント、を
どこまで表現しうるのか・・・。
もしこのシーンで、意味が通るように訳を変えてしまうと、
(他に適当な訳があるかどうかは不明。実際の仏訳がどうなっているかも不明)
繰り返し出てくる「おかえり」「ただいま」との呼応がなりたたなくなるし、
16巻・17巻のサブタイトルとの一致もなくなってしまいます。
ああ、翻訳ってムズカシイ。
しかし、さらなる「難問」に気づく。
この作品、主な舞台はドイツで、
この双子も基本的にドイツ語しゃべっているはずです。
・・・ドイツ語にも「おかえり」「ただいま」的慣用表現があるんだろうか・・・
ドイツ・アマゾン様で調べてみると、ドイツ語では
16巻「おかえり」: SCHON, DASS DU WIEDER DA BIST
17巻「ただいま」: BIN WIEDER DA
というサブタイトルになっています。
直訳も何もする能力はないのでこのままにしておきますが、
このドイツ語に、果たして日本語のように単独で「帰宅」のニュアンスや
呼応感覚があるのかどうかは不明です。
(この訳の長さからいえば、慣用的表現とは思えませんが・・・)
さらに。
この双子たちが、この「おかえり」「ただいま」を言っていた場所はチェコなんです。
ニナの記憶の断片に出てくる言葉は、つまり・・・チェコ語のはず!
でも、「なぜ私はチェコ語を知っているの?」というような疑問を
ニナは抱かなかったんですよね、確か。
(彼女は最初、ドイツ人養親が実の親だと思っていましたし)
まあこの辺は言い出すとキリないですけどね(笑)。
とにかく、
この作品はドイツなどの状況をよく調べて描いている作品ではあるのですが、
日本人が日本語的発想で書いた作品・・・
・・・とも言えるかも、と思いました。
これ、ドイツから帰ってきて読んだのですが、
行ったばかりの地名がばんばん出てきて、懐かしかったです(笑)。
ハイデルベルク城も出てきたし、
なによりミュンヘンの白ソーセージがあああああ!!!!
(見るたび「食いたいー!」と思ってしまった私)
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