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2009.01/31 [Sat]
天満天神繁昌亭と、最期の高座
大阪・天満にある落語専門の劇場「天満天神繁昌亭」を
ご存知でしょうか。
今回は繁昌亭見学の話と、
そして私の最愛の落語家・桂吉朝さんについて
書きたいと思います。
長いし、暗いので(^^;)、
そういう気分じゃない方はスルーしてくださいね。

本来ならば繁昌亭の写真を載せたいところですが・・・
撮らなかったので、落語に出てくる団子をば。
先日、天満天神繁昌亭へ行ってきました。
大阪では唯一の落語専門の寄席。
上方の噺家の長年の悲願だったこの小屋は、
2006年9月、市民の寄付だけで出来上がりました。
国や市からの補助は一切なし。
敷地は天満宮から無償で借りてるそうです。
(かつては駐車場だったらしい)
なので、天神さんの真隣にあり、
ゆえに名前も「天満天神」繁昌亭、なんですね。
見学の話は少し後回しにして・・・。
桂吉朝さんの話をさせてもらいます。
前に書いたこととダブることもあるかと思いますが、ご容赦を。
桂吉朝さんを知ったのは、
中島らも主催の「リリパット・アーミー」のお芝居に出ていたから。
その味がなんだかおもしろくて、
そしたら落語家さんだってことで、
落語なんて聞いたことなかったけど、
太融寺というお寺での落語会に出かけていきました。
そしたら、そのおもしろさに
ものの見事にはまりまして(^^)。
吉朝さんが落語会に出る、というと、
あちこちの小さな舞台に出かけていきました。
そういう中で、
他の落語家さんの噺もいろいろ聞きましたが、
やっぱり吉朝さんが一番おもろい!
うまいし、おもしろい。
ちょっとしゃべるだけで、そこはかとなくおもしろい。
まあ、この辺は理屈じゃないんですけどね。
しかし、
私のほうは結婚・子育ての時期に入り、
観劇活動はほぼ停止。
そして長いブランクの後、
ようやく「活動」を再開するようになり、
再び吉朝さんの落語を見に行くようになりましたが、
その矢先・・・
2005年11月8日、桂吉朝、ガンのため永眠。
享年50歳。
病気をしてはったのは知ってましたが、
復帰して、少しずつ高座にも上がっていたのです。
ショックでした・・・。
どんな道でも精進に尽きるところはありませんが、
特に伝統芸能、50歳なんてまだまだ若く、
もっともっと芸を磨きたかっただろうな・・・
もっともっと落語をやりたかっただろうな・・・
と思うと、ほんとに残念でなりません。
私自身、これからようやく吉朝さんの落語を
いっぱい見るぞー!と思っていたところだったので、
そのブランクの期間が残念で悔しくて。
その年の12月21日、尼崎アルカイックホールで
「桂吉朝を送る会」というのが催されました。
ファン・関係者参列のお葬式的なものですが、
吉朝さんの落語のビデオも上映され、
涙の中に笑いあり、
良いお別れ会だったと思います。
その折、ほんとにささやかながらお香典を差し上げたら
その場で、小さな包みをいただきました。
何だろうと思って、家に帰って開けてみると、
吉朝さんのCD。

ここに書かれてある通り、「形見噺」です。
そう、吉朝さんの最期の高座を録音したもの・・・。
吉朝さんの最期の高座は、
亡くなるわずか10日前。
かなり無理を押して演じはったそうです。
しかも、演目の「弱法師(よろぼし)」は
45分もかかる大作。
私、とても聞けませんでした・・・。
吉朝さんが、まさに命がけで演じた噺なんだから
ファンとしては聞くべきなのはわかってましたけど・・・。
そして、「聞かなくちゃ」と思いつつ、
やはり聞く気になれなくて、今まできました。
それを、ようやく聞いたんです。
もう3年以上経ってますね。
・・・あれから、もう3年・・・。
きっかけは、ブログ友達の方が
吉朝さんの師匠の米朝のCDで
「地獄八景亡者戯(じごくはっけい・もうじゃのたわむれ)」を
聞いた・・・というのを読んだこと。
この演目は、吉朝さんが演じていた大ネタです。
(「じごくのそうべえ」というタイトルで絵本にもなっていて、
実はうちのノビ太は学年発表会でこれやりました(笑))
・・・もう、そろそろ聞いてみよう、聞かなくちゃ・・・
こうして、ようやく重い腰を上げる気になりました。
このCDには「弱法師」の他に、もう1つ
「そってん芝居」というのが入っていまして、
そちらのほうが先に収録されています。
亡くなる前年に録音された「そってん芝居」、
マクラも本ネタも楽しく笑わせてもらいました。
・・・と思って、次の「弱法師」。
マクラで話し出した吉朝さんの声が・・・
声が・・・
声が出てない・・・。
その衰弱ぶりが、かなりショックでした。
覚悟してたとはいえ、「そってん芝居」で油断したのもあって、
こちらも声が出ない状態。
短いマクラの後、すぐに噺が始まりました。
しばらくして、「あれ?」ということが。
・・・この噺、「笑い」がない・・・
後でリーフレット見たら、「人情噺」と紹介されてましたが、
おそらくネタそのものが、笑わせるようにはできてないんでしょう。
(演じる人により、部分部分笑わせることはたぶん可能)
私は落語でこういうものがあるのを、知りませんでした。
落語=笑い、だとばかり思っていたので。
つまり、これって、ほんとに「ドラマ」で、
「泣かせる話」だったんです。
話している吉朝さんは、
その間の取り方がいつもと全然違い、
聞いてるだけでも体調が危ういんだろうことが
想像できるくらい。
だからといって、決して飽きさせることなく、
話に引き込まれていきます。
物語は、気の弱い息子が勘当だ!と言われて飛び出し・・・
という親子もの。
秀逸だなと感心したのは、
季節を描くのに、物売りの声だけでつなげていくところ。
息子がいなくなって、夜も更けて。心配する親夫婦。
「お父っつぁん、夜が明けましたで・・・」
そして物売りの声が聞こえてくる。
「なべや〜きうどん〜〜・・・」
そして絶妙の間合いでもって、
ゆっくり、静かに、別の物売りの声。
そしてまた別の・・・。
聞いていると、その売られている物の違いで
季節が移ろっていくのがわかるんです。
物売りの声色や節回しが様々に変わって、
ゆっくり、ゆっくり時が流れていく・・・。
「夜が明けましたで」から、
一度だけ「ぬくうなりましたなあ」が入る以外、
親夫婦の姿が出てくることすらなく、
ただ四季の物売りの声。
・・・そして、「なべや〜きうどん〜〜・・・・」。
これだけで、1年経ったんだなってわかりますよね。
なんだか、上質の映画を見てるみたいな気分でした。
すごい演出だなと思っていたら、
リーフレットによると、4代目・桂米団治の台本なんだそうです。
やっぱり米団治ってすごい人だったんですねぇ。
(吉朝さんは、その米団治の名を継ぐ話もあったそうですが)
話がそれましたが、
泣ける話だったので、涙腺ゆるい私は大号泣。
しかし、それはストーリーだけでなくて、
いったいどんな思いで吉朝さんがこの出し物を選んだのか、
どういう気持ちでこれを演じていたのか、
それを思うと泣けて泣けて・・・。
聞きながら、そして聞き終わった後も、
ずいぶん泣きました。
このCDは、現在も基本的に非売品のようです。
吉朝さんが亡くなってわずか一ヶ月の間で、
よく作られたものだと思います。
体裁は一般発売のCDと同じだったのですが、
バーコードとかもありませんし、
何より、「ここ(下の左写真のピンクの下線部分)」が違うんですよ。
(右は一般発売のCDのもの)

「KICHO-1108」と印刷されていますよね?
11月8日が吉朝さんの命日ですので・・・。
こういう「遊び心」?、
やっぱり噺家さんの追悼CDらしいなあ、と思います。
話変わって。
朝の連ドラ「ちりとてちん」はご存知でしょうか?
私は実は最初以外ほとんど見てないのですが(見ればよかったと後悔してますが)、
この落語家を目指すヒロインの物語で、
たぶん唯一、本職の落語家として出演していたのが
吉朝さんのお弟子さん、桂吉弥さん。
もちろん、2005年の「吉朝を送る会」にも来てはりました。
そして、明けて2006年初頭、
うちのノビ太が通う学校の講演会に、
なんとこの吉弥さんが来はったのです!
後にも先にも、うちの学校の講演会で
落語家が来たことはありません。
たまたま巡ってきた落語家の講演会が、
たまたま吉朝さんのお弟子さんで、
しかも吉朝さんが亡くなってすぐ・・・。
そりゃー、行くっきゃないでしょ!!!
当然、最前列!(笑)
子供たちを前に、吉弥さんは
定番の「うどんをすする演技」や、小ネタなどを披露し、
楽しくお話をされ(あ、大河ドラマの「新撰組」にも出てはったそうです)、
短い落語も演じ、講演会は無事終了。
終わると私はダッシュで外へ出て、
講堂から出てきた吉弥さんをつかまえました。
とにかく名残惜しく、何かお話がしたかった・・・。
吉弥さんには失礼だったかもしれませんが、
吉朝さんのファンであると名乗り、
少しお話を聞きました。
「吉朝さんはご病気のこと、ご存知だったんでしょうか?」
「はい・・・」
頭ではわかってはいたのですが
(じゃなきゃ、体調悪いのを押して高座には上がらないから)
なぜだかそれが気になっていて・・・。
ああ、やっぱりそうだったんだと、
哀しいけれど、何か納得できるものがありました。
吉弥さん応援してます!と告げ、
握手をしていただき、そこでお別れしました。
その後、吉弥さんは「ちりとてちん」にも出演され、
あちこちでご活躍中。
頑張ってください!!!
さて、繁昌亭の話に戻ります。
2006年に繁昌亭が出来た時に私が思ったのは、
「吉朝さんは出ることがない・・・」
でした。
上方落語はもちろん応援してるし、
繁昌亭が繁盛してほしいというのは強く思ってはいても、
繁昌亭の話題が出始めた頃は(つまり完成前)
吉朝さんを失ったばかりでしたから・・・。
元々、落語会にも吉朝さん以外の噺家のために
出向くこともなかったというのもあり、
吉朝さんのことが半分トラウマ状態で
(すぐトラウマになる奴・・・)
行く気にはなれなかったんです。
そんな折、学校のPTAから
繁昌亭へ行く企画がありました。
どうしよう・・・?と思ったものの、
お友達に誘われたこともあって、
行くことを決意。
これを逃したら、一生繁昌亭に行かないかもしれん・・・
そういう気持ちもありました。
やってきた繁昌亭、外観がかなり小さい。
中へ入いると、さらに小さい!(笑)
合計216席ということですから、
ほんとにこじんまりした小屋なんですが、
落語をやるには丁度いいんじゃないでしょうか。
ちなみに、開館から2年以上たった今も
団体などで予約は満杯状態が続いてるそうです。
私が見たものは、
繁昌亭の説明あり、落語の一通りの説明あり、
さらに見学者(つまりPTAだ)が舞台に上がらされて
太鼓たたいたり、幽霊シーンやらされたり、
最後には例の「うどんをすする」をやらされたり・・・。
もちろん、最後は落語もありました♪
楽しかったです。
人気があるのも、頷けます。
帰りに、出口付近の壁をふと見ると、
いくつかのモノクロ人物写真がかかっていて・・・
はた!と思って、あわてて近寄ると、
そこにはやはり吉朝さんの写真もありました。
そう、亡くなった上方の噺家の写真でした。
そこに写真が飾られるというのは、
栄誉でもあり、哀しさでもあり・・・。
もし、上方落語に興味があったら、
ぜひぜひ吉朝さんの落語も聞いてみてください。
あまりDVDが出ていないのが
ファンとしては寂しいところですが。
(DVD全集出してくれ〜〜〜〜!)
すでに空の彼方の人ではありますが、
今でも吉朝さんを応援中!
よろしく〜〜!!!
ご存知でしょうか。
今回は繁昌亭見学の話と、
そして私の最愛の落語家・桂吉朝さんについて
書きたいと思います。
長いし、暗いので(^^;)、
そういう気分じゃない方はスルーしてくださいね。

本来ならば繁昌亭の写真を載せたいところですが・・・
撮らなかったので、落語に出てくる団子をば。
先日、天満天神繁昌亭へ行ってきました。
大阪では唯一の落語専門の寄席。
上方の噺家の長年の悲願だったこの小屋は、
2006年9月、市民の寄付だけで出来上がりました。
国や市からの補助は一切なし。
敷地は天満宮から無償で借りてるそうです。
(かつては駐車場だったらしい)
なので、天神さんの真隣にあり、
ゆえに名前も「天満天神」繁昌亭、なんですね。
見学の話は少し後回しにして・・・。
桂吉朝さんの話をさせてもらいます。
前に書いたこととダブることもあるかと思いますが、ご容赦を。
桂吉朝さんを知ったのは、
中島らも主催の「リリパット・アーミー」のお芝居に出ていたから。
その味がなんだかおもしろくて、
そしたら落語家さんだってことで、
落語なんて聞いたことなかったけど、
太融寺というお寺での落語会に出かけていきました。
そしたら、そのおもしろさに
ものの見事にはまりまして(^^)。
吉朝さんが落語会に出る、というと、
あちこちの小さな舞台に出かけていきました。
そういう中で、
他の落語家さんの噺もいろいろ聞きましたが、
やっぱり吉朝さんが一番おもろい!
うまいし、おもしろい。
ちょっとしゃべるだけで、そこはかとなくおもしろい。
まあ、この辺は理屈じゃないんですけどね。
しかし、
私のほうは結婚・子育ての時期に入り、
観劇活動はほぼ停止。
そして長いブランクの後、
ようやく「活動」を再開するようになり、
再び吉朝さんの落語を見に行くようになりましたが、
その矢先・・・
2005年11月8日、桂吉朝、ガンのため永眠。
享年50歳。
病気をしてはったのは知ってましたが、
復帰して、少しずつ高座にも上がっていたのです。
ショックでした・・・。
どんな道でも精進に尽きるところはありませんが、
特に伝統芸能、50歳なんてまだまだ若く、
もっともっと芸を磨きたかっただろうな・・・
もっともっと落語をやりたかっただろうな・・・
と思うと、ほんとに残念でなりません。
私自身、これからようやく吉朝さんの落語を
いっぱい見るぞー!と思っていたところだったので、
そのブランクの期間が残念で悔しくて。
その年の12月21日、尼崎アルカイックホールで
「桂吉朝を送る会」というのが催されました。
ファン・関係者参列のお葬式的なものですが、
吉朝さんの落語のビデオも上映され、
涙の中に笑いあり、
良いお別れ会だったと思います。
その折、ほんとにささやかながらお香典を差し上げたら
その場で、小さな包みをいただきました。
何だろうと思って、家に帰って開けてみると、
吉朝さんのCD。

ここに書かれてある通り、「形見噺」です。
そう、吉朝さんの最期の高座を録音したもの・・・。
吉朝さんの最期の高座は、
亡くなるわずか10日前。
かなり無理を押して演じはったそうです。
しかも、演目の「弱法師(よろぼし)」は
45分もかかる大作。
私、とても聞けませんでした・・・。
吉朝さんが、まさに命がけで演じた噺なんだから
ファンとしては聞くべきなのはわかってましたけど・・・。
そして、「聞かなくちゃ」と思いつつ、
やはり聞く気になれなくて、今まできました。
それを、ようやく聞いたんです。
もう3年以上経ってますね。
・・・あれから、もう3年・・・。
きっかけは、ブログ友達の方が
吉朝さんの師匠の米朝のCDで
「地獄八景亡者戯(じごくはっけい・もうじゃのたわむれ)」を
聞いた・・・というのを読んだこと。
この演目は、吉朝さんが演じていた大ネタです。
(「じごくのそうべえ」というタイトルで絵本にもなっていて、
実はうちのノビ太は学年発表会でこれやりました(笑))
・・・もう、そろそろ聞いてみよう、聞かなくちゃ・・・
こうして、ようやく重い腰を上げる気になりました。
このCDには「弱法師」の他に、もう1つ
「そってん芝居」というのが入っていまして、
そちらのほうが先に収録されています。
亡くなる前年に録音された「そってん芝居」、
マクラも本ネタも楽しく笑わせてもらいました。
・・・と思って、次の「弱法師」。
マクラで話し出した吉朝さんの声が・・・
声が・・・
声が出てない・・・。
その衰弱ぶりが、かなりショックでした。
覚悟してたとはいえ、「そってん芝居」で油断したのもあって、
こちらも声が出ない状態。
短いマクラの後、すぐに噺が始まりました。
しばらくして、「あれ?」ということが。
・・・この噺、「笑い」がない・・・
後でリーフレット見たら、「人情噺」と紹介されてましたが、
おそらくネタそのものが、笑わせるようにはできてないんでしょう。
(演じる人により、部分部分笑わせることはたぶん可能)
私は落語でこういうものがあるのを、知りませんでした。
落語=笑い、だとばかり思っていたので。
つまり、これって、ほんとに「ドラマ」で、
「泣かせる話」だったんです。
話している吉朝さんは、
その間の取り方がいつもと全然違い、
聞いてるだけでも体調が危ういんだろうことが
想像できるくらい。
だからといって、決して飽きさせることなく、
話に引き込まれていきます。
物語は、気の弱い息子が勘当だ!と言われて飛び出し・・・
という親子もの。
秀逸だなと感心したのは、
季節を描くのに、物売りの声だけでつなげていくところ。
息子がいなくなって、夜も更けて。心配する親夫婦。
「お父っつぁん、夜が明けましたで・・・」
そして物売りの声が聞こえてくる。
「なべや〜きうどん〜〜・・・」
そして絶妙の間合いでもって、
ゆっくり、静かに、別の物売りの声。
そしてまた別の・・・。
聞いていると、その売られている物の違いで
季節が移ろっていくのがわかるんです。
物売りの声色や節回しが様々に変わって、
ゆっくり、ゆっくり時が流れていく・・・。
「夜が明けましたで」から、
一度だけ「ぬくうなりましたなあ」が入る以外、
親夫婦の姿が出てくることすらなく、
ただ四季の物売りの声。
・・・そして、「なべや〜きうどん〜〜・・・・」。
これだけで、1年経ったんだなってわかりますよね。
なんだか、上質の映画を見てるみたいな気分でした。
すごい演出だなと思っていたら、
リーフレットによると、4代目・桂米団治の台本なんだそうです。
やっぱり米団治ってすごい人だったんですねぇ。
(吉朝さんは、その米団治の名を継ぐ話もあったそうですが)
話がそれましたが、
泣ける話だったので、涙腺ゆるい私は大号泣。
しかし、それはストーリーだけでなくて、
いったいどんな思いで吉朝さんがこの出し物を選んだのか、
どういう気持ちでこれを演じていたのか、
それを思うと泣けて泣けて・・・。
聞きながら、そして聞き終わった後も、
ずいぶん泣きました。
このCDは、現在も基本的に非売品のようです。
吉朝さんが亡くなってわずか一ヶ月の間で、
よく作られたものだと思います。
体裁は一般発売のCDと同じだったのですが、
バーコードとかもありませんし、
何より、「ここ(下の左写真のピンクの下線部分)」が違うんですよ。
(右は一般発売のCDのもの)

「KICHO-1108」と印刷されていますよね?
11月8日が吉朝さんの命日ですので・・・。
こういう「遊び心」?、
やっぱり噺家さんの追悼CDらしいなあ、と思います。
話変わって。
朝の連ドラ「ちりとてちん」はご存知でしょうか?
私は実は最初以外ほとんど見てないのですが(見ればよかったと後悔してますが)、
この落語家を目指すヒロインの物語で、
たぶん唯一、本職の落語家として出演していたのが
吉朝さんのお弟子さん、桂吉弥さん。
もちろん、2005年の「吉朝を送る会」にも来てはりました。
そして、明けて2006年初頭、
うちのノビ太が通う学校の講演会に、
なんとこの吉弥さんが来はったのです!
後にも先にも、うちの学校の講演会で
落語家が来たことはありません。
たまたま巡ってきた落語家の講演会が、
たまたま吉朝さんのお弟子さんで、
しかも吉朝さんが亡くなってすぐ・・・。
そりゃー、行くっきゃないでしょ!!!
当然、最前列!(笑)
子供たちを前に、吉弥さんは
定番の「うどんをすする演技」や、小ネタなどを披露し、
楽しくお話をされ(あ、大河ドラマの「新撰組」にも出てはったそうです)、
短い落語も演じ、講演会は無事終了。
終わると私はダッシュで外へ出て、
講堂から出てきた吉弥さんをつかまえました。
とにかく名残惜しく、何かお話がしたかった・・・。
吉弥さんには失礼だったかもしれませんが、
吉朝さんのファンであると名乗り、
少しお話を聞きました。
「吉朝さんはご病気のこと、ご存知だったんでしょうか?」
「はい・・・」
頭ではわかってはいたのですが
(じゃなきゃ、体調悪いのを押して高座には上がらないから)
なぜだかそれが気になっていて・・・。
ああ、やっぱりそうだったんだと、
哀しいけれど、何か納得できるものがありました。
吉弥さん応援してます!と告げ、
握手をしていただき、そこでお別れしました。
その後、吉弥さんは「ちりとてちん」にも出演され、
あちこちでご活躍中。
頑張ってください!!!
さて、繁昌亭の話に戻ります。
2006年に繁昌亭が出来た時に私が思ったのは、
「吉朝さんは出ることがない・・・」
でした。
上方落語はもちろん応援してるし、
繁昌亭が繁盛してほしいというのは強く思ってはいても、
繁昌亭の話題が出始めた頃は(つまり完成前)
吉朝さんを失ったばかりでしたから・・・。
元々、落語会にも吉朝さん以外の噺家のために
出向くこともなかったというのもあり、
吉朝さんのことが半分トラウマ状態で
(すぐトラウマになる奴・・・)
行く気にはなれなかったんです。
そんな折、学校のPTAから
繁昌亭へ行く企画がありました。
どうしよう・・・?と思ったものの、
お友達に誘われたこともあって、
行くことを決意。
これを逃したら、一生繁昌亭に行かないかもしれん・・・
そういう気持ちもありました。
やってきた繁昌亭、外観がかなり小さい。
中へ入いると、さらに小さい!(笑)
合計216席ということですから、
ほんとにこじんまりした小屋なんですが、
落語をやるには丁度いいんじゃないでしょうか。
ちなみに、開館から2年以上たった今も
団体などで予約は満杯状態が続いてるそうです。
私が見たものは、
繁昌亭の説明あり、落語の一通りの説明あり、
さらに見学者(つまりPTAだ)が舞台に上がらされて
太鼓たたいたり、幽霊シーンやらされたり、
最後には例の「うどんをすする」をやらされたり・・・。
もちろん、最後は落語もありました♪
楽しかったです。
人気があるのも、頷けます。
帰りに、出口付近の壁をふと見ると、
いくつかのモノクロ人物写真がかかっていて・・・
はた!と思って、あわてて近寄ると、
そこにはやはり吉朝さんの写真もありました。
そう、亡くなった上方の噺家の写真でした。
そこに写真が飾られるというのは、
栄誉でもあり、哀しさでもあり・・・。
もし、上方落語に興味があったら、
ぜひぜひ吉朝さんの落語も聞いてみてください。
あまりDVDが出ていないのが
ファンとしては寂しいところですが。
(DVD全集出してくれ〜〜〜〜!)
すでに空の彼方の人ではありますが、
今でも吉朝さんを応援中!
よろしく〜〜!!!


西洋かぶれっぽい自分にとっては日本の芸術と、日本を見直すきっかけになりそうです。